晩秋の函館 「岩船ヤス」に想う

2015年11月

昔なんども耳にしたような記憶の隅に残る言葉《キュウシメイチ》という不思議な響き、
それが故郷函館近郊にある庭園「香雪園」のことだと最近分かり、訪ねてみました。

明治の初め、呉服商で箱館屈指の豪商と称された岩船ヤスという女性と
養子峰次郎らが精魂こめて築いた別荘庭園で、大阪や埼玉から銘木を運び、
京の庭師が築園したものです。

4万3千坪の庭園の森に数寄屋風書院造の茶室、オランジュリ様式の温室等があります。
呉服商の屋号が「久〆一」、子供のころ遠足で行ったこの香雪園のことを
「キュウ・シメ・イチ」と言っていたのでした。

この度、学芸員の方から、豪商にして篤志家「岩船ヤス」の話を聞いて驚きました。

天保期、岩船ヤスは夫との離別を機に、新潟岩船郡から親弟妹と箱館に渡り、
飴やおこしを売って一家の生計を立てていました。
ヤス25歳の時、父の死に際に、骨を高野山に納めてくれと頼まれ極貧の中、
老母を連れ、遥々歩いて高野山に納骨に行きました。

そこである呉服問屋の主人と運命的な出会いをします。
信用を得て、幾つかの反物を預かり、函館で行商を始めます。

もとより頭脳明晰で勤勉で優しさと行動力を兼ね備えたヤスは、
仕入れための徒歩での関西往復は、計16回を数えたといいます。
その凄まじい行商路にも、貧者や病の人を助け続けたそうです。

ヤスの意志を受け、香雪園は後に市民に開放とされ、
子供の頃行った地にこんな歴史があったこと、
そして私の母も昔、呉服の行商をしていたこともあり、
とても印象深く感銘を受けました。